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1758年のかんじきの戦い(Battle on Snowshoes)は、フレンチ・インディアン戦争中の1758年3月13日に起こった戦闘である。イギリス陸軍およびロバート・ロジャーズ率いるロジャーズ・レンジャーズとフランス軍、フランスと同盟関係にあるインディアンとの間の戦いで、現在のニューヨーク州北部、当時はニューヨーク植民地とヌーベルフランスの間の辺境だった、ジョージ湖の近くが戦場となった。イギリス軍が、戦闘の際にかんじきを履いていたためこの名がある。 ロジャーズは、180人ほどの兵を連れて、フランスの配置を偵察に出かけた。カリヨン砦(タイコンデロガ砦)のフランス軍指揮官は、ロジャーズたちの動きに警戒しており、大部分がインディアンで構成された部隊を派遣して、対戦させた。ロジャーズはその場から逃げる途中で、委任状を入れた軍服を捨てざるを得なかったため、フランス軍は彼がこの戦闘で死んだと思い込んだ。 ロジャーズは追手からのがれる際に、400フィート(121.9メートル)の岩壁を滑り降りて、ジョージ湖の結氷した湖面に着地した。この岩璧は「ロジャーズの岩」または「ロジャーズの滑り」と呼ばれている。 ==戦闘に至るまで== 1754年に、アメリカ大陸のイギリス植民地とフランス植民地との間で、両植民地の辺境をめぐっての領土争いから、フレンチ・インディアン戦争が勃発し、翌1755年には、本国の正規兵を派遣するまでに本格化して行った〔Brumwell (2004), p. 55〕。1756年には、フランスは大部分の戦いでイギリスに連勝したが、唯一の特筆すべき敗戦は、イギリスが、シャンプラン湖からのフランスの南進を阻止した1755年のジョージ湖の戦いである。サンフレデリック砦(現在のクラウンポイントの場所にあった砦)とカリヨン砦(後のタイコンデロガ砦)を拠点に、フランスとインディアンの同盟軍は、ジョージ湖と、その上流のハドソン川への偵察と調査を行っていた〔Brumwell (2004), pp. 59–82〕 。 イギリスの方は、インディアンとの同盟関係はさほどのものではなく、レンジャー(猟兵)の偵察力と情報収集能力に援助を仰いでいた〔Brumwell (2004), pp. 70–71〕。これによりレンジャー組織が作られた。指揮官にはロバート・ロジャーズが就任し、最終的にはロジャーズ・レンジャーズとして知られるようになった〔Brumwell (2004), pp. 103–105〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「かんじきの戦い (1758年)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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